虐待によって里子を殺害した容疑で、里親が逮捕された記事が新聞に載った。里親としての思いが、殺害という結果に変わってしまった事実に、どんよりと重いものを抱え込んだ気分になる。
翌日の記事には、「うちだって、虐待ケースになったかも。」と、男の子を三歳前から里子として育てて10年になる男性が、次のように語っている。「最初は、愛情を注いでかわいがればいいと思っていた。家に来て早々テーブルの上の7、8個のみかんがなくなり、口を開けさせてみると、皮ごと食べている。皮をむいて食べることを教え、5㎏入りの箱を買うと、3日で食べ尽くした。それから、毎週みかん10㎏を半年間食べ続けた。気に入らないことがあるとキーキー高い声を出し、てこでも動かなくなる・・・」といった里子の「試し行動」の経験である。
自らの経験を踏まえて、多くの人は教育に一家言を持っているが、実は一歩踏み込むと人間は十人十色だ。学校教育は、そんな多種多様な子どもに教師が一人で向き合う場である。簡単にいかなくて当然なのだ。いかにベテランの教師でも、心の中を掘り返せば、うまくいかなかった無数の経験が、後悔や煩悶の苦みとともに立ち上がってくるだろう。
さて、『せんせい。』である。この小説は、そんな苦い経験を丸ごと包んでくれる。教師と生徒とのやりとり全てをいとおしく感じさせる、包容力のある小説である。
『世界最悪の紛争「コンゴ」 -平和以外になんでもある国-』 米川正子 創成社
「ルムンバの叫び」という映画がある。コンゴ初代首相ルムンバが暗殺されるまでの半生を描いた映画である。その映画は冒頭から不穏な雰囲気で始まる。暗闇。無人の林。欧米人が二人、何かを引きずっている。人の足のように見える。と思うと、次のシーンではドラム缶に火を点けて焼いてしまう。実はそれが暗殺されたルムンバだというのがラストで分かるのだが、この映画では、そのルムンバ暗殺までの過程を丁寧に追う構成になっている。
まるで袋小路に向かうような構成で、暗澹とした気持ちにさせられるのだが、『世界最悪の紛争「コンゴ」-平和以外になんでもある国-』では、破滅に向かう構造が論理的に説明されているだけに、余韻の重さは比べようもない。
自国に目を向けるばかりではなく、地球の裏側では何が起こっているのか、関心を持つのが我々の責務だとはいっても、この惨状を知れば知るほど、いわば構造的に平和が構築されない条件が揃っている状況に、呆然と立ち竦んでしまう。虐殺・貧困・周辺での紛争・天然資源の搾取・汚職・欧米との関係・エボラ出血熱の流行・地震・・・。
もちろん、簡単に解決策が見つかることではない。だから、一人でも多くの人に知ってもらうことが始まりだと思う。同じ地球に生まれて、同じ人間として生きることの、あまりの違いを直視することは、人間としての責務である。
「黄色い目の魚」 佐藤多佳子 新潮文庫
人が自分らしく生きるのって、何て難しいんだろう。
ストレートで、自分の気持ちに正直すぎて、周りの人とうまくいかない村田みのりと、自分の中にある絵の才能をどう扱っていいのかわからなくて、不器用に生きる木島悟。誤魔化せない自分らしさを持てあまして、ぶつかり、つまずき、立ち止まりながら生きる二人の姿は、読み進めば進むほど、他人事に思えなくなってくる。自分はどうなんだろう。自分は、自分の嫌なところや、弱いところ、好きなところに、ほんとにちゃんと向き合っているんだろうかと思えてくる。
「一瞬の風になれ」でブレイクした作者が、それよりもずっと昔、大学生だった頃に書いた「黄色い目の魚」という短編。それが、十年を経るうちに、作者の中で少しずつ登場人物が動き始め、長編に変わっていったのがこの作品の成立過程ということらしい。だから、短編だった頃の前半部分と、長編化していく後半部分とでは文体に違いがある。けれど、作者は敢えて直していない。登場人物が苦しみ、生傷を負いながら成長していくさまを、作者自身が童話作家から小説家へと変身していく過程をガラス張りにすることによって、身をもって描いたのである。