【松井仁さん 語る】得手に帆を揚げよ―1つのメッセージとして「あ」じゃなくて「お」(2019年6月例会報告)

2019年07月21日(日)|by カプス管理2
2月、京都にて「待て、而して希望せよ―プロレタリア文学再考から見えてくるもの」と題した「提起」をおこなった。「民主主義の反対はなにか?」という問いに答えられない、「ファシズム」「全体主義」と出てこない若者。「抗う」がテーゼだった時代に比べ、全部受け入れてしまう時代。何よりも望まれるのは「夢と凛と情」をあわせもつリーダーの輩出である。(「「あ」じゃなくて「お」」は「わたし遺産」大賞作品より)

1. 元号が変わったから新時代が来る―!?
三島由紀夫は割腹4日前、これからの日本は「無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色」だと言った。実際その通りになっている。おまかせ民主主義、他人事。藤澤令夫(ギリシア哲学)が「イデアと世界」で述べた「軽信」「軽操感」である。

2.「令和」の英訳から見えるもの
「和」とは「同調圧力」「同調性」である。「和而不同」ならよいが、そうではない。品川悦一『万葉集の発明―国民国家と文化装置としての古典』は従来の説を洗い直した力作である。万葉集がいかに「国民の詩歌=国詩」となったのか。文化的装置、ナショナル・アイデンティティの拠り所としての万葉集を論じている。万葉集はこの文脈から読むべきであろう。

3.「イチロー選手のあり方」その凄さは何か
イチロー選手の凄さは、日本固有のありかたを、特殊性に閉じさせるのではなく、普遍化したところである。内野ゴロをヒットにするという新しい野球の姿を提示したのである。

4.教育をめぐる情勢について問わず語り
  • 中高生に木の高さをどうやって測るのか(新井紀子の話から)
いまの中高生は、問題を自分の問題として受け止められない。必要なのは処世術ではなく、処「生」術である。「生きる力」(文科省)ではなく「生きるちから」(70 年代の民間教育運動)である。AI によって、人間がAI 化していることが問題である。
  • いわゆる「PDCA」の愚
「PDCA」は 70 年代ごろから使われた語。結果、上意下達、前例踏襲だけが残った。言葉はその背景を押さえないといけない。
  • 主体的・対話的で深い学び」「共通テスト」
これからどうなるのか。一度疑ってほしい。

5.「学校なしに、子どもを街中に放り出しておいては、身につかないもの」とは何か
マスコミや国家に左右されず、自立した判断をする能力であり、技術革新の激しい時代を生き抜いていく職業人としての素質である。前者は思想信条の自由・良心の自由を守るため、後者は職業選択の自由につながるものである。教育とは「選択」が見えるかどうか、生徒が何かをチョイスできるかどうか、である。

6.谷崎潤一郎の「ルネサンス」―なぜ「細雪」は発禁処分となったのか
谷崎は関西を舞台に、ルネサンスの実験を行った。『細雪』は軍国主義が不在であることによって発禁になった。谷崎は『源氏物語』を現代語訳したが、『源氏』のエッセンスは「人の心や自然の風物の日に接することによってそぞろに催される、深くしみじみとした感動」である。

7.結成 22 周年の「カプス」の現状と展望について
今後は、「先達」が授業を見せることが必要ではないか。教材(羅生門、水の東西)をとりあえげる現代的な意義とはなにか。問題意識を生徒に持たせないといけない。生徒の中に「矛盾」を巻き起こしてほしい。

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